久野収著『久野収 世界を見つめる』自由国民社/1995年/ISBN:4426305004
1990年〔平成2年〕から1994年〔平成6年〕にかけて新聞・雑誌に発表したエッセイ、対談、座談会+柳瀬正夢展パンフの小文をまとめたしたもの。初出は以下のとおり。
「民族主権主義を超える選択」は『朝日新聞』1993年〔平成5年〕1月5日。インタビュー「近代文明を問い直すとき 戦後五十年を目前に」〔聞き手桐原良光〕が『毎日新聞』1994年1月11日。浅田彰との対談「「戦後」への視点」が『信濃毎日新聞』1994年8月8日ほか。堀田善衛佐和隆光との鼎談「転形期を語る」〔司会佐藤毅〕が『東京新聞』1990年4月23日〜。安岡章太郎岩井克人との鼎談「8・15を読み直す」〔司会伊藤祖司〕が『東京新聞』1990年8月6日〜。宇沢弘文大江健三郎との鼎談「一九九〇年は問いかけた」が『東京新聞』1990年12月10日〜。「平和的解決の道へ 「限定」必要な多国籍軍」が『信濃毎日新聞』1991年〔平成3年〕1月22日。「湾岸戦争の思想的意味 文明相互の国際的調節再検討の必要性」が『東京新聞』1991年3月4日。柄谷行人山内昌之との鼎談「〝ポスト湾岸〟世界を読む」が『東京新聞』1991年4月1日〜。「ソ連の激変を考える」が『信濃毎日新聞』1991年9月9日ほか。辻井喬、岸本重陳との鼎談「歴史の節目」〔司会伊藤祖司〕が『東京新聞』1991年12月9日〜。「民主主義否定の失敗 権力と一体化した「ソビエト」」が『北海道新聞』1991年12月22日。「世界を代表し、世界の中心となる国家はもうない」が『ブルータス』1992年〔平成4年〕1月15日号に改稿。「社会党左派は党割る覚悟を」〔聞き手佐々木幸一〕が『新生』1994年8月20日号。佐高信との対談「目覚めよ!ジャーナリズム」が『サンサーラ』1993年5月号。小宮悦子との対談「アカデミズムの知識とジャーナリズムの知識」が『月刊金曜日』1993年7月号。アイリーン・美緒子・スミスとの対談「向こう三軒両隣から始まる市民運動」が『週刊金曜日』1993年11月12日号。「出発の感想、一つ二つ 「週刊金曜日」創刊一周年記念講演」が『週刊金曜日』1994年5月13日号。「後輩から見た革命画家・柳瀬正夢さん」が1986年〔昭和61年〕刊行の「柳瀬正夢展」パンフレット。「霊力を駆使した運動 マハトマ・ガンディー」が『エスクァイア』1993年12月号。
久野収〔くのおさむ〕の経歴を同書から転載。

1910年大阪府生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。35年に反ファシズムの雑誌『世界文化』、36年『土曜日』の創刊に加わる。37年治安維持法違反で検挙され2年間獄中に。戦後、全面講和を主張する「平和問題懇話会」、「ベ平連」結成に参加。戦前から戦後50年の今日まで一貫して、反権力の哲学を学問・ジャーナリズム・具体的行動の領域で展開している。著書に『平和の論理と戦争の論理』(岩波書店)『現代日本の思想』(共著、岩波書店)『思想のドラマトゥルギー』(共著、平凡社)『思想の折り返し点で』(共著、朝日新聞社)『久野収対話史』(全2巻、マドラ出版)、『市民の精神』(共著、ダイヤモンド社)『発言』『展望』(晶文社)ほか。

1999年〔平成11年〕2月9日死去。