仲正昌樹著『「不自由」論 「何でも自己決定」の限界』筑摩書房/ちくま新書/2003年/ISBN:4480061320
統一教会信者・『世界日報』記者の経歴を持ち、現在はニューレフト系月刊誌『情況』やアソシエ21を中心に活躍している仲正の初の新書。アーレント、ハーバマス、ジジェクデリダ等等、現代思想系にはとんと疎いので面白く読めた。今挙げた4人とドゥルシラ・コーネルの本は読んでみたい。
「イマジナリーな領域に対する権利right to the imaginary domain」への違和感。すごく繊細な概念な気がするのですが、

 コーネルが、これまでリベラリズムにおいて考察の範囲外に置かれていた「心の中の問題」である「イマジナリーな領域」を前面に出すようになった背景には、本人がそれほど望んでいないネガティヴ・アイデンティティーが、いつのまにか〝自由〟な「自己決定」の基盤になっていたり、「集団的自己主張」の根拠になったりする事態が頻繁に生じているからである。p.188

誰が自分のアイデンティティー(の要素)をネガティヴかそうでないのかを決めるのだろうか。自分? でも今の私を構成するさまざまな要素をネガティヴかそうでないかを決定するのも(決定しないで保留することも含めて)、とりあえず今の〝自己〟が決めるしかないだろうと思う。

自分一人だけではどうすることもできない「イマジナリーな領域」をもう一度作り直し、「自己」を「再想像」していく作業を、周囲の他者たちから助けてもらう権利と考えれば、分かりやすくなるだろう。p.187

どうも私には「権利」という概念が未だによくわからなくて、「ほっといてくれ」ってまず思うのだけども、そういう「権利」を求めている、あるいは欲している人がいるかもしれないということは想像できても、それを「権利」として再構成するという発想には私は至らない。「権利」というのはそれを行使するもしないも〝自由〟らしいけど、「権利」はそれを「所有」しているというイメージがあって、私はそんなもの持ってもいたくない。いやこれは私の捉え方が思想史的に誤っているのかもしれないけど。
…いや全然まとまらねぇや。