山崎行太郎の田口ランディ評

折口信夫特集目当てで買った『三田文學』2003年秋季号〔三田文学会発行、慶應義塾大学出版会発売〕を読んでたら、ちょっと言葉を失うような天真爛漫な文章が書かれていたので当該部分を転載。
山崎行太郎「季刊・文芸時評(二〇〇三年・秋)」から。

 ところで、田口ランディの連載「ドリームタイム」が、文芸誌で始まったことを喜びたい。短篇小説の連作のようだが、この作家が独特の感受性と言語感覚を持っていることを証明している。
 実は、私が、田口ランディという作家に注目するようになったのは、「2チャンネル」というインターネットの掲示板で、盗作騒動をネタに厳しい人身攻撃が繰り返されているのを見てからである。私は、インターネットはまったくの初心者だが、実はそこで、最初に遭遇した問題が、田口ランディの盗作問題だった。
 それまで、私は、田口ランディの盗作騒動は、新聞やテレビでしか知らなかった。だから、「ネットアイドル」から「作家」へと変身した田口ランディが、他人の作品を「盗作」し、それがバレて作品は絶版になったらしい、というマスコミ情報をそのまま信じていた。
 しかし、自分で、ネットの書きこみを見て、これは、盗作騒動と言うより、ネットの世界から始めてメジャーな表現の世界にデビューした田口ランディに対する、「仲間たち」からのシットとヒガミに基づくイヤガラセだということがわかった。少なくとも、そこで、「盗作」「盗作」と騒がれている問題の多くは、「作風が似ている」とか、「テーマが同じ」とかいうようなレベルから、「文体がまずい」「小説が下手だ」と言うものまで、要するに、盗作とは無縁なものばかりであった。大月隆寛を編集責任者にした告発本も刊行されているが、正直に言って、単なる人身攻撃と営業妨害のための「トンデモ」本にすぎない。
 おそらく、これから作家や批評家の周辺で、こういう問題は繰り返されることであろう。その意味でも、やはり田口ランディは、現代的な、注目されるべき作家の一人なのである。つまり、田口ランディという存在そのものが、スキャンダラスな存在なのである。
 私は、あらためて『コンセント』『アンテナ』『モザイク』などを読み返したが、決して悪い作品ではない。特に、『コンセント』というデビュー作は、新人作家の作品としては、いかにも新鮮である。今では常識になってしまったが、「ひきこもり」という一種の社会現象をいち早く作品化し、そしてその問題の本質を見事に抉り出した才能は、捨てがたい。「ドリームタイム」は短篇の連作だが、これまでの長編小説より、文体もテーマも、さらに洗練されている。

確かに盗作騒動には「人身攻撃」の側面もあったと思うし、結果として「営業妨害」にもなっただろうけど、それは大いに故があってのこと。自業自得でしょ。鹿砦社からでた『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』をトンデモ本扱いするのはスキャンダラスな編集に目を奪われて中身を読んでいない疑いが強い*1。田口が「スキャンダラスな存在」なのは山崎とは別の意味で同意する。ただし賞味期限は過ぎてる気はするけど。鹿砦社の田口本にも寄稿している栗原裕一郎(id:ykurihara)氏辺りから見たら苦笑しそうな発言に見える。
この時評、『群像』8月号の陣野俊史永江朗田中和生による鼎談「僕らにとって批評は必要だ」を肯定的に評価したり、吉村萬壱舞城王太郎を重ね合わせてそれぞれ「凡庸」「通俗的」と評価したりと、私がネットで見かける評判とはかなりずれているので、色々思うところもあるのだけどそれら作品を読んでいないのでこれ以上は言及するのはやめとこ。
山崎行太郎〔やまざきこうたろう〕は1947年〔昭和22年〕生まれ、東京工業大学講師、文芸評論家。って今調べたらサイト運営してるわ(-_-;)。顔写真もあるよ…。

*1:トンデモ本」のニュアンスも〝と学会〟のそれとは違う。