粘着してみる。

山崎行太郎氏の日記が移転じゃなくて模様替え。この日記にも言及しているので転載。
つれづれなるままに・・・ http://human0.com/diary2/diary.cgi?id=yamazaki4669 から。

2003年11月4日(火)

■「田口ランディ盗作騒動」について

2、3日前から、「田口ランディ盗作問題」に関連して、このホームページや日記、掲示板などのアドレスが、悪意からであると思われるが、某氏によって公開されている…( こういう行為を「サラス」と言うらしいが…笑)ようなので、しばらく、この日記は、外部からは見えないようにしようかと思ったが,やめた。別に、アドレスを公開されることを警戒しいるわけでもないし…。
元々、僕は、リンクフリー宣言しているし、内容も「転載・転送・コピー」、いずれも可としている。それに変化はないが、しかし、はじめての経験なので、しばらく様子を見ることにする。
これを機会に、HPもより巨大な容量(100メガ?)のHPに移転することにした。以前から、そのつもりで準備していたので、何も問題はない。
「田口ランデイ盗作騒動」とは、ランディさんが、盗作を繰り返している、という「2ちゃんねる」のカキコミを中心とする告発、さらにそれに煽動されたかのような文壇内外からの告発によって、ランディさんが盗作騒動に巻き込まれ、彼女の本が次々と絶版になったり、書き換えや訂正を余儀なくさせられたり…した事件のことである。マスコミでも大きく報道された。テレビのニュースでさえ、取り上げられたように思う。
さらに、この騒動に輪をかけるように、大月隆寛氏を編集責任者とする「盗作告発本」まで、某出版者から刊行され、ネット社会の「事件」として、賛否両論、いろいろな意味で、話題になった。
普通なら、ランディさんは、社会的に抹殺されるはずなのだが、しかし、不思議なことにその後、「新潮」「文学界」等、いわゆる文芸誌の中でもどちらかと言えば「権威」のある雑誌にも登場している。これが、何を意味するかは明らかだろう。しかも、この告発本自体が、いつのまにか書店の店頭から消え、むしろそっちの方が抹殺された(かの…)ようである。
僕は、この告発本を読むまでは、詳しいことは知らなかった。別に大して興味もなかった。しかし、この告発本を、たまたま友人から借りて読んで、この問題の真相が見えてきた。僕の感想は単純なものだった。これは、「盗作騒動」と言う問題に名前を借りたネット社会特有の新しい形の「いじめ」だな、というものであった。
そもそも、盗作とは何か。何をもって盗作と言うのか。引用やパスティシュ、本歌取り…。テーマやアイデアの借用からパロディまで…。芸術や文学の歴史が、盗作と創作のぎりぎりの線の上に成り立っていることは常識だろう。
僕は、「三田文学」秋期号(現在発売中!)で、ランディさんの連載「ドリームタイム」(「文学界」)を簡単に紹介するついでに、盗作騒動にも触れてみた。どういう反応が返って来るのか、少し不安ではあったが・…。
やっと、その反応が、ぼつぼつ見え始めたというところだろうか。
僕は、これからネット社会から、続々と物書きや表現者が出てくると思う。だからねっと社会そのものを、一部の新聞やテレビのように否定も批判もしない。むしろ、僕のような人付き合いの苦手なものにとってはとても便利なメディアの出現と言っていい。だから、僕は歓迎こそすれ決して批判などするつもりはない。テレビや新聞が、ネット社会について、「出会いKサイト」や「2ちゃんねる」等をネタに、激しい批判と告発のキャンペーンを張るのは、むしろテレビや新聞が、ネットにその位置を奪い取られようとしているからだ…という説があるらしいが、なるほどと思う。
さて、おそらく、新聞、雑誌、テレビなどに「プロ」の作家や評論家として頻繁に登場している人たちも、のんびりしていられないだろうと思う。無名の書き手たちの発言が、ダメだということはないからである。宮台真司などは、ネットは、「便所の落書き」みたいなものだといっているらしいが、宮台の雑文こそ、そう呼ぶべきではないのか、と思う。
要するに、プロとアマの差は、限りなくゼロに近づいている。
今は、そういう時代なのだろう。かつて、吉本隆明は、自前のメディアとして同人雑誌「試行」を定期的に刊行して、大手マスメディアからのお仕着せの情報に、抵抗し対抗した。多くの若者たちが、吉本隆明の手作りの個人雑誌を先を競って読んだ。
僕は、それと同じようなことが、ネットによって、簡単に出来るのではないか、と思っている。
そういう意味でも、ネット社会から発生した「田口ランディ盗作騒動」は、かなり面白い社会問題なのだろう。

改めて簡単に現時点での私の見解を触れておく。
私がid:neanias:20031029#p3で山崎氏の時評をわざわざ文字を起こして触れたのは一連の盗作問題をあまりに曲解していると感じたからだ。批判的に触れているので当然善意はないが、悪意も別にない。「祭り」はとっくに終わっていたし誰かが見つけたとしてもそれほど大事にはならないだろうと思っていたからだ。実際にいくつか反応はあるもののあの「祭り」の最中とは比べものにならないくらいおだやかだ。反応の早さと山崎氏降臨には少し驚いたが。
山崎氏を天真爛漫と表現したのも山崎氏自身「私は、インターネットはまったくの初心者だが、実はそこで、最初に遭遇した問題が、田口ランディの盗作問題だった」と書いているようにネット初心者のおじさんがよく確かめもせずに未だに田口擁護の見当はずれのことを言ってる、との揶揄的な意味をこめて形容したものである。だが、ネット初心者ではあっても「文芸評論家」を名乗り、東京工業大学埼玉大学で講師をしている者が、「問題の多くは…盗作とは無縁なものばかり」と田口本人や幻冬舎ですら認めた事実を歪曲するかのような文章を文芸誌に発表するというのは大いに問題があるのではないか。しかも今回の日記では「何をもって盗作と言うのか」と開き直る始末である。「本当に盗作なの?偶然なんじゃないの?」といった当然でてくるであろう疑問について2ch特有のジャーゴンやノイズを取り払った上で丁寧に検証したのが大月らの本ではないか。あの本を読んだ上であのような言説を流したのであれば、天真爛漫という先の評価は撤回し、悪質なデマゴギーと断じるより他あるまい。かりにそうでないのだとすれば残るはよほど文章読解力がないという可能性だけ。無論その場合は文芸評論家としての才はもう無いことを意味するすわけだが。
……
とまあ堅苦しく書いてみたけど、日記では文芸時評の時より腰が引けてるようにみえるね。びびってんのかな?
はじめにここに降臨したときは「内容に関しては見解の相違ということで…(笑)」「いずれにしろ、論争歓迎!! (笑)」とある程度節度を持った書き込みをしながら自らの掲示板では「ネット・バカ」と貧相な言葉で私を罵倒し、直後の書き込みで「栗原ナニガシが、そんなに偉いんすかねえ」と論旨をすりかえ(まあ、山崎氏よりは頭いいと思うよ)、「どついたろか」と暴言を吐くという所業は根に持ちましたw。ようやく悪意を持ったよ!
というわけでしばらくは山崎氏に粘着したいと思います。祭り上等。「忘れないよ!山崎」